ケジメ

「じゃあ、もう帰れ」
 高校の文化祭の打ち上げが終わり、吉井とさりげなくふたりきりになれた紗月に、彼は教師然として言った。
「まだ時間遅くないし」
 深い闇に街灯が煌々と灯っているとはいえ、時刻はまだ21時前。塾からの帰りを思えば早いほうだ。
 だが、吉井はがんと首を振る。
「だめだ。帰りなさい」
「打ち上げで遅くなるって親に言ってあるし」
「だからいいってわけじゃないだろ? 時間の問題じゃない」
「……」
 紗月の想いは伝えてあるし、吉井も応えてくれたはずなのに、ふたりの仲はなかなか進展しない。
「一緒にいたいんです」
「気持ちは判るけどな」
「どうして? せっかくふたりきりになれたんだし、ご飯行くとかコーヒー飲むとかくらいいいでしょ?」
「ダメだ。送るからそれで我慢しろ」
「いや。帰りたくない。ねえ先生ってば」
 紗月は駅へ向かおうとする吉井の上着を引っ張った。
 振り返った吉井をじっと見上げる紗月。眼差しに精一杯の想いをこめて。
「―――頼むから、困らせないでくれよ。そんな顔するなよ、おれだって一応男なんだぞ」
「好きって言ってくれたのは嘘だったんですか? 好きな相手と一緒にいたくないんですか?」
「好きだからでなんでも通るのは、学生だけなんだよ。ほら。だから。襲われても知らんぞ」
「先生になら襲われてもいい」
「!」
 これは嘘なんかじゃない。勢いで言ったわけでもない。
「先生なら、いい」
 先生になら、いや、先生にそうされたい。
「莫迦やろ。言っていいことと悪いことがある」
 どこまで本気か判らない、吉井の低い声。
「嘘じゃないよ。ホントだよ、先生だっ」
「やめなさい」
 鋭い声で止められる。
「そんなことできるわけないだろが」
「できるよ。大丈夫だよ、あたしが同意したって言えば」
「騙されただけだと一蹴される」
「じゃ、酔ってたってことにすれば」
「教師が生徒の前で飲酒するほうが問題だろが」
 吉井の即答に、紗月は食い下がる言葉を見つけられなくなる。
 盛大な溜息のあと、吉井は額に手を遣り、切なげにうめいた。
「頼むよ。頼むから、おまえの未来を壊させないでくれ」
 懇願だった。
「どれだけお前が好きでも愛しくても、おれは教師だ。これはどうやったって変えられない。お前を守るためなんだよ。お前が大切だから、手は出せないんだよ」
 垣間見れた吉井の内面に、紗月は一瞬震えた。
「お前が卒業するまでは、絶対に手は出さないし、まわりにばれるような真似は絶対にしない。前にもそう言ったよな。それでもいいってお前言ったよな」
「……はい」
 想いを伝えたとき、確かに吉井はそう言っていた。
 そういう決意があったからこそ、吉井は紗月を想っていたと誰にも思わせなかったのだろう。
「ものたりないのなら、おれなんておっさんはやめるんだな」
「や。やめません」
 ぶるぶると首を振る紗月。
「なら、卒業するまでは我慢しろ。な?」
「―――はい……」
 しゅんとうなだれる紗月に、しかし吉井の艶っぽい声が続いた。
「卒業したら、それまでのぶんを取り戻してやる。覚悟しておけよ」